たしか4月8日の事だったか。普段使っているご飯茶碗が割れた。
購入したのが2022年の11月か12月だったので、約1年と4ヶ月愛用したもの。なぜ購入した時期を覚えているかというと、それを遠方で購入したからだ。
さして高価なものではないのだが(セリアで110円)、デザインが気に入っていただけに割れた時には少々落ち込んだ。
割れた茶碗を片付けながら「災厄の身代わりになってくれたのかもしれない」とも思ったし、逆に「災厄が訪れる前兆では?」とも思った。
手が滑り食器が落下して割れた、それだけの事なのだが、物が壊れる時は何かのサインなのでは?との考えがよぎる事がある。
というのも、その2週間〜10日ほど前、身の周りもなんだか不穏だったからだ。
さて、食器が割れることには何かしらの意味があるのか、あれから約3週間の検証結果を。
故人の食器を割る
葬儀に参列したことのある人なら知っているだろうが、食器には魂が宿ると言われ、出棺の際に故人の茶碗を割る風習がある。
習わしや言い伝えの類が本当なのか嘘なのかまでは私には検証しようがないが、多くの人がそう思っているということは、そういう認識の世界が一定数の人の中には存在するということだろう。
例に習い、食器と人間(ペットも含む)の間には何かしらの繋がりがあるという前提で、自分のその後を振り返ってみることにした。
食器が割れた時のサイン
食器が割れたといっても、その受け取り方には良いも悪いもあるようだ。巷の噂は以下の通り。
- 身代わりになってくれた
- 厄払いになった
- 注意喚起
- 不吉な事が起きる前兆
- 運気が変化する前兆
- 運気が上がる時に立て続けに割れる
良いことと悪いことが極端すぎて、だったらどっちでもない方が平穏ではないか。食器が割れることには何の意味もない、と早々に結論付けてしまいたい。
身代わり
身代わりになってくれたといっても、災厄を逃れたと分かる出来事が起きなければ何の身代わりか知りようがない。(例えば、乗る予定の乗り物に乗らずに済んだら難を逃れたなど)
それに、まだ起きていない事の予兆だとしたら「不吉な事が起きるかも」とビビりながら過ごすのも精神衛生上よろしくない。むしろそれが暗示になって悪いことを引き寄せそうだ。
運気の変化
まあそうだろうね、と思えるのは「運気が変化する前兆」だろうか。
そりゃ代替に新しい物を取り込むことになるのだから、そんな時はたいてい気分が良い。
普段は行かないインテリアショップや雑貨屋へ足を運んだり、ネットでお気に入りの器を見つけたらウキウキするものだ。
ついでにマグカップも新調しようか、カーテンも変えようか、なんてことになり、模様替えして素敵な部屋になったら人も呼びたくなるだろう。
そうなれば運気が変化するのも必然。
私の3週間検証
ここからは、食器が割れた日から約3週間の私の話である。
食器が割れる時はスピリチュアルなサインだったのかどうかを見てみよう。
2024年4月8日 割れた日(多分)
手元が狂い、手に取るはずだった茶碗を滑らせてしまう。1度シンク横に落ちた茶碗は、転がりながら床に落下。
この茶碗は二度落ちた事になる。1度目の落下で救えていれば割れずに済んだ。
この1週間前に体調が悪い日があったが、この茶碗が割れたお陰で介抱に向かったわけではない。たまたまだ。
2024年4月18日
気候の変化が激しくまた体調がすぐれない。
2024年4月19日
人から妬みを原因としているであろう悪意を向けられる。
2024年4月22日
体調は相変わらずすぐれない。
2024年4月初旬から
家の中にコバエが発生。
2024年4月23日
転ぶ。
2024年4月末
久しぶりの人から連絡がきたが、あまり楽しい気分になれる相手ではなかった。
そのうち1人からは、ショッピングサイトに誘導する連絡でガックシきた。
検証
こうして振り返ってみると、変化のない日々のことより、どうしても起きた出来事に注目してしまいがち。
それらが関係あるのか無関係かは天のみぞ知る所ではあるが、検証のために考察をしてみる。
悪いこと
◯体調がすぐれない事は、べつに茶碗が割れようが割れまいが年間のうち数回はあるだろう。→無関係(ただし長引いている)
◯人から悪意ある態度を取られたのはちょっとこたえた。こたえたというより、面倒くさすぎて嫌になった。→茶碗は何も関係ないだろうが、不吉な予兆と取ることも出来る。
◯コバエの発生は、私の中ではだいぶな不快な出来事だ。→茶碗は虫発生への注意喚起だろうか。
◯転ぶという出来事は年間通して定期的に、または不定期で起こることではない。→割れた茶碗はケガに気を付けなさいと言っていたのか。
◯嫌な連絡→ゆっくりしているところにきたゲンナリする連絡は、虫発生同様こころ穏やかではない。
良いこと
悪い出来事ばかりが目立つが、良いことというほどではないものの、茶碗が割れてからいつもとは明らかに違ったことがある。
それは、新しい店、リニューアルした店、普段は行かない店へいくつも足を運んだこと。私の意向で行ったというより、どれも周囲の要望で出かけている。
そこで、買い替えたいと思っていたものを新調したり、新しいアイテムを購入した。ご飯茶碗は予備を持っていたので買い替えていないが、新しいアイテムはやはりテンションがあがる。
検証結果
不吉な予兆 2件
注意喚起 2件
運気の変化 1件
特別何もなく過ぎ去る月もあることを考慮すれば、色々あったともとれる約3週間。こうして振り返ると、良いことよりも悪いことの方が多かった印象を受ける。
まとめ
食器が割れることには何か意味があるのか?食器が割れるスピリチュアルなサインは何なのか?の検証結果は
- 身代わり→検証ならず
- 厄いになった→検証ならず
- 注意喚起→あり
- 不吉な事が起きる前兆→あり
- 運気が変化する前兆→あり
- 運気が上がる時に立て続けに割れる→立て続けではないので不明
となった。無理矢理こじつけようとするならば、食器が割れた時のサインはどちらかというと、良いことよりも悪いことへの注意喚起の意味合いが強いように感じられた。信じるか信じないかは自分次第。
※記事を投稿する前に読み返していると、茶碗が「2度落下」したこと、「1度目の落下で救えていたら割れなかった」ことがなんだか気になった。
これが実はサインなのではないだろうか。
ご飯茶碗も新調したくなってきた。