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年賀状じまいと断捨離:人間関係の見え方

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ついこの間お正月を迎えたような気がするが、そろそろ1月も終わろうとしている。

今回は断捨離シリーズの続編、「人間関係と年賀状について」。

【2024年元日の全国年賀状配達数は7億4300万通】ピーク時(1993年)の3割以下に落ち込む

このニュースからも分かる通り、年賀状でのやりとりは激減。とはいえ、毎年律儀に届く年賀状も「捨て辛いもの」の一つ。

年賀状や人間関係の取り扱いに困っている方へ向けて、私がこれまでに行った年賀状の断捨離と、年賀状を出すのをやめた話をしてみよう。

年賀状

昔は私も年賀状を出す事に熱心だった。一枚一枚手書きで、受け取る相手を思い浮かべながら個別のメッセージを添えていた。

届いた年賀状は年度ごとに輪ゴムで束ね、大切に保管していたものだ。

印刷されただけのものはそうでもなかったが、手書きで書かれたメッセージ入りの年賀状は、心温まるものがあった。

 

年賀状の断捨離

初めて断捨離らしい事を行ったとき、まだ年賀状は捨てていなかった。実家に中高生時代の手紙を保管しているくらいだったので、年賀状も断捨離の対象外。

その後しばらくして家中の断捨離を行ったとき、年賀状も断捨離することにした。

この時の断捨離はさすがにやりすぎたと後に後悔するのだが、年賀状の断捨離は取り掛かって良かったと思う。

 

1人1枚

断捨離のやり方は、1人1枚のみ保管というもの。

毎年出してくれる人も居れば、どこかのタイミングで終わっている人もいる。何年にも渡る年賀状の中から、1番新しいものを保管し、残りは処分。

昔のものを保管していても、住所や名字が変わっている事も多い。特に女性は。

 

年賀状を出すのを止めた

こちらから年賀状を出さなくなったのはもう10年近く前になるが、断捨離とは関係ない。年賀状の準備に取り掛かる時期、ちょうどその年は大変忙しくしていた。

お正月もゆうに過ぎたころ、届いていた年賀状に目を通したが、寒中見舞いを出すタイミングでもなかった事から、もらいっぱなしでその年は終えたかもしれない。

それがキッカケになったかは覚えていないが、この頃から恒例行事を「行わない」選択もあるという意識が芽生えたようにも思う。

 

年賀状を出すのをやめたあと

こちらから年賀状を出す事はなくなったが、それでも時期になればそれなりな数の年賀状が届く。

それもそうだろう。「年賀状を出すのを止めます」宣言をしたわけでもないので、これまで私からの年賀状を受け取っていた側は、当たり前のように年賀状を出す。

しばらくは届いたものに「寒中見舞い」として返信していた事もあり、その後数年は変わらず届いていた年賀状。

しかし、5年もすればその数は徐々に減り、そこからは更に加速していく。

 

最後まで届いた年賀状

2024年、ついに届く年賀状が0となった。

全く年賀状を出す気のない私に最後まで懲りずに書いてくれていたのは、現在も仲の良い友人だ。

 

年賀状を全て処分

年賀状が0となった事で、ついに年賀状をほぼ全て処分することに。

「ほぼ」と書いたのは、生前の祖母から受け取った年賀状は捨てる事は出来ないからだ。

大切なものだけを残して、他は手放す。

 

年賀状と人間関係

私が年賀状を出さなくなった頃と時を同じくして、人間関係にも変化があった。

それ以前にも、広がりすぎた人間関係を考え直す機会があったのだが、その時に残った関係も時を経て形を変えていた。

 

惰性で続けている関係

届く年賀状の中には、もう何年も会って居ない人、年賀状以外のやりとりがない人も多い。既に日々の付き合いはなくなっているのに、なぜ年賀状を出すのだろう?とっておくのだろう?

何年も会っていなくても、数年に一度や年に数回の交流で心の充足が得られる縁があるのは事実。

しかし、それら一部を除き、年賀状だけのやりとりになっている関係というのは、既に破綻している関係といっても良いかもしれない。

同じ時間を共有した者同士、相手の平穏無事を祈る気持ちがないわけではないが、年賀状以外の交流がない相手というのは、自分も相手も過去の人。

「元気にしていますか?私は○○です。いつかまた会えるといいですね」という嬉しいメッセージとは反対に、それが実現されたことはほぼほぼ無い。

 

会えるなら会いたい

もし、今の私が年賀状を出す事があったとして、上記のようなメッセージを添えるとしたら、年賀状を送ると同時にラインなり電話なりで会いたい旨を伝えるだろう。

そして、時間とお金が許すなら会いに行く。

相手の置かれている状況やタイミングにもよるが、会えるなら会いたい、私はそう思う。

実際にはその時間とお金が理由で会いたいのに会えていない人達も居るが、そういった人達とはやはり年賀状以外でのやりとりが続いている。

 

本当に繋がっていたい人

年賀状を出すことで「私の記憶(人生)に貴方は今も存在していますよ」という事を伝える意味あいもあるのかもしれない。

しかし、本当に縁を繋いでいきたいなら年賀状などという消極的な方法ではなく、何かしらのアクションを起こすのではないだろうか。

社交辞令のような「会えたらいいね」を投げかけて終わるのではなく、電話をしてもいい、ラインやメールをしてもいい、会いにいってもいい。

過去の相手の幻想に浸っているより、今現在の相手と繋がらなければ、その年賀状1枚は意味がないのではないかと思っている。

いま相手は困っているかもしれない、悩んでいるかもしれない、心細さを感じているかもしれない。そんな時に何も知らず、何事もなかったように、時間だけは過ぎていく。

逐一相手の現状を知れるわけではないが、何かあった時には頼ってもらいたいし自分も少し肩を借りたい。目出度い事があれば、おめでとうを伝えたい。

密ではなくても、そういう関係を築いていける人との時間に私は自分の持っているものを使いたいと思っている。

 

人生の時間は限られている

そういうわけで、今では惰性の関係を続ける必要性を感じていない。

何年かして昔話に花が咲くことはあるかもしれないが、そういった関係は過去という霧の中に再び消えていく。

なかなか上手くいかない人間関係をズルズルと引きずってしまっていた私だが、今もなお友人として続いている人達は潔い。

人生の時間は限られているという事を知っている彼女らは、本当に大切にすべきものが何かも知っている。

 

よくよく考えると年賀状は好景気の産物

年賀状を出す事が当たり前だと思っていたあの頃は、月の予算から年賀状代を捻出していた。

ちょうど10年前の2014年、消費税8%による値上げで葉書1枚50円が52円へ。

おおよそ50円の時代に出していたことになるが、100枚ほど5000円を年賀状のために毎年使っていたことになる。

多い時には10000円近く年賀状に支出していた記憶もある事から、余裕のある生活ではなかったもののまだ豊かな時代だったといえる。

無料でメッセージのやりとりが出来るいま、年に一度のご挨拶にお金を掛けるのはそろそろ限界がきているのではないだろうか。

 

まとめ

捨て辛い年賀状の断捨離。

いきなり年賀状をやめるというのは難しいかもしれないが、当たり前に向き合うとき大切な関係が見えてくる様に思う。

 

↓これまでの断捨離の様子はこちら↓

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