断捨離シリーズの続編、今回は「思い出と人間関係」。
昨年のうちに出来る事はあらかた済ませたつもりでいたのだが、年を越して再び断捨離期間へ突入。これから先の事を考えた時、もっと身の回りをシンプルにする必要があると思った。
盲点だった「思い出」と「人間関係」。
思い出の品を断捨離しようかと立ち止まっている方へ向けて、私なりの考えとそれらの断捨離の様子をご紹介。
↓これまでの断捨離の経過はこちら↓
断捨離を阻むもの
断捨離を始めたものの、その行動を止めてしまう最たる物が「思い出の品たち」という人も多いのではないだろうか。
部屋の片付けを始めたはずが、懐かしい写真や手紙を手に取り思い出にふける。気がついたら外は真っ暗で、それらをそっとしまい、またいつもの日常を繰り返す。
思い出を胸に、物はゴミ箱へ。そう潔く出来たら良いのだが、人間そう簡単に過去を切り捨てる事は出来ない。それは「替えがきかない」ものであり、そこに「記憶」があるから。
人の名前は固有名詞にすぎず、「自分とは何者か?」の答えは、そこに蓄積された「記憶」でしか手繰り寄せる事は出来ないのかもしれない。
過去の物
過去の思い出といっても様々。
- 使用していたもの
- 受領品や書類
- 記憶媒体
- 交流の形跡
大きく分けると、過去と繋がりのあるものといえばこれらが該当するだろう。
1と2においては、物である以上それを保管するためのスペースが必要であり、生活に支障をきたしているのなら手放さざる得ない。
※卒業証書や資格証明書などは安易に捨ててはいけない
交流の形跡
難しいのが、3の記憶媒体と4の交流の形跡。これは友人や想い人、恋人、家族、恩師や先輩後輩、自分と関わりのあった人との記憶であり記録。
思い切りが必要だが、迷っている人へ向けてそれらの断捨離に取り組んだ私が思うことを紹介してみる。
想い人や恋人との思い出の品
贈り物編
私の友人の話だが、彼女は別れたら即処分していたという。また別の友人は、気持ちを整理しながら必要ない物を徐々に処分するという。
私は?というと、昔は捨てられない人間だった。贈り物にしろ、やりとりの形跡にしろ、そこには思い出が詰まっており、なかには手放すには惜しいものも。
捨てられないとはいっても、生活が苦しい時に売りに出したお金で助けられた事もあり。だが、その時は「仕方なく手放した」という意味合いの方が強く、断捨離とはまた別の類のもの。
初めて手放そうと思って手放したのは、引っ越しのタイミングだった。このときは気持ちがハイになっていた事もあり躊躇なく手放す事が出来たが、後々になって物としての価値を振り返り後悔した物も。
ある程度価値のある物は、ゴミ箱行きにする前に一旦立ち止まろう。売ってお金に変えた方が、嫌な過去も昇華されるかもしれない。
やりとりの形跡
想いはとっくになくなっていても、良い思い出として残っていたり、当時の自分がそこに写り込んでいると捨て辛いもの。
既婚者の場合は結婚を期に処分しているとは思うが、独身者の場合はずっと保管している人もいるだろう。それぞれの家があるうちは良いが、1つ屋根の下に暮らす時には事前に処分したいもの。
それでもそれらを捨てられない場合、相手が同じことをしても自分は問題ないか?と問うてみよう。
友人・恩師・先輩後輩との思い出の品
贈り物編
こちらは恋人との思い出の品よりハードルが低そうだが、決定的な「決別」がないぶん断捨離には思い切りが必要。現在も交流のある相手や、良い思い出のある人との品は、気持ちを無下にするようで捨て辛いもの。
しかし、よくよくその品(物)を見てみよう。お土産やお祝い品など、相手の好意で贈られた物は自分の趣味とは異なることも多々。
今ではこんなトンチンカンな贈り物をする人は居ないと信じたいが、昔であれば返礼品に新郎新婦や誕生児の名入りの物が横行していた。捨てるのは気が引けるし、買い取りに出す事も出来ないという、取り扱いに困る厄介物である。
気に入って使用している物でない限り、断捨離の対象に。
やりとりの形跡
手紙や寄せ書きなど、時に読み返すのは面白くもあるが、これらの存在は断捨離を中断させてしまう要因に。よほど自分の人生にインパクトを与えたものでなければ処分。
写真は捨てるのに勇気がいるもの。特に友人知人の結婚式の写真は、大量に撮影しがちに。全て保管していても仕方がないので、同じシチュエーションの中から数枚に絞り、他は処分。
土産品
次に土産品。
年配者が持っている土産品あるあるが「地名入り提灯」。若者なら「地名入りTシャツ」や「テーマパークのマグカップ」だろうか。
それを気に入って使っているなら良いが、「相手に悪いから」という気持ちだけで保管していてはいつまで経っても片付かない。
欲しい人がいれば譲り、売れる物は売り、引き取り手がいなければ処分しよう。
家族との思い出の品
こちらは、立場や関係性によっては処分までの道のりが長くなりがち。ほとんどの人が、これらを手放す事なくこの世を去っていることだろう。
断捨離を思い立ったなら、抱えている思い出の品がその大切な家族の負担にならないか?という見方をしてみるのもひとつ。
遺品整理というのは途方もない作業であることはたしかだ。
私の今回の断捨離
私が今回断捨離したのは以下のもの。
- お土産
- 年賀状
- アドレス帳(お付き合い帳)
- 名刺
- 写真
お土産
知人からの土産の置き物。最初こそ玄関に飾っていたが、今ではケースの中で転がっている。処分するまでもないが、とっておくほどの物でもないというのが曲者で、これまでの断捨離では見過ごされてきていた。
物品を受け取った時点で相手の思いは受け取っているので、今回は迷いなく処分。
年賀状
年賀状の処分に至るまでの様子は別記事にまとめているので、そちらを参照。
アドレス帳(お付き合い帳)
手帳に付いているアドレス帳は欄が少なすぎるため、いつからか無印のリングノートをアドレス帳にしていた。
データのように消したり上書きが出来ない手書きノート。とうの昔に疎遠になった人の名前が残っていたりして、見返すと怖いアドレス帳である。
「お付き合い帳」の役割りを果たしていた事もあり、これまでは断捨離の対象からは外れていた。しかし、もう何年も開いていなかったので処分することに。
歳を重ねるごとに人間関係に厚みが増していくという人は良いが、年々シンプルになっていくという人は処分してしまおう。必要な情報はスマホの電話帳に入れれば問題ない。
名刺
不要になっていたのにこれまで見過ごされていた名刺入れ。最後にパラパラとめくって処分。
ディーラーの担当者や保険の担当者の名刺はどうするか?たとえ名前を覚えていなくても、営業所に電話を掛ければ調べて繋いでくれるだろう。
また、担当者も移動や転勤をしている場合もあり、昔のように定年まで担当者が在席しているとは限らない。
写真
1度整理した事があるのだが、その時は全体の1%も処分できなかった。データの画像整理もなかなか大変ではあるが、その何倍もの悩みを生むのが現像済みの写真とネガ。
写真の断捨離に悩む世代というのは、全体のおおよそ6割ほどだろうか。若者にとっては縁のない悩みであるので羨ましい限りである。
写真屋さんにもらう簡易的なアルバム、プラスチックのアルバム、分厚い台紙のアルバム。どれにしても場所をとるうえ、とにかく重たい。
今回思い切って1/4ほどを処分することに。今後、定期的に見直しを行いながら、更に減らしていくつもりでいる。
思い出の品を物として見れたら
思い出の品を即処分するも、徐々に処分するも、いつか処分するも、とっておくも、どれが正解ということはない。
「物」というのは思い出や記憶と密接に繋がりやすいからこそ、そこにまつわる相手を意識しがちに。
1度それらを取っ払い、「物」として認識してみる。すると、今や未来の自分に必要かそうでないかは、わりと見えてくるものである。
思い出の物を断捨離する基準
どうしても後ろ髪引かれる想いで断捨離出来ない人にオススメしたいのが、以下の方法である。
少々卑しい考え方ではあるが、それらが富を運んできてくれるかどうかで判断する。その思い出の品が家賃を稼いできてくれるか?
思い出の品は換えがきかない物ではあるが、それらを保管しておくスペースを維持するための家賃は稼いできてくれない。
また私のように、元恋人からの贈り物だからと手放した物も、寝かせておくか、もっと高値で手放せば良かったと思う場合もある。
これは、手放した時は「物」ではなく「相手」を見ていた事になるが、後悔した時には既に相手は介在しておらず「物」を「物」として認識していたことに。
ここでやっと、正確な目でその物の価値を見ていることになる。(あとの祭りだが)
まとめ
思い出の物の断捨離は、そこに記憶が結びついているため、思い切るまでが難しい。
断捨離したいのに出来ずにいる人は、物にまつわるバックボーンを取り払い、物を物として見てみよう。
手放してしまえば、なんてことはなかったことに気づくだろう。